メンバー紹介
本間 誠次郎

1)きっかけ
私は製薬会社で内分泌関連の新薬開発研究に従事しながらステロイドホルモンの新しい測定法の開発にも携わっていた。
ベトナム戦争終結前の1972年頃、アメリカの北爆を受けハノイのロンビエン橋や大きな病院、バクマイ病院が破壊されたニュースが報道された。その後、石川文洋氏の「ベトナム解放戦争」の写真集でビンディン省やクワンチ県の住民の戦火の様子や枯葉剤散布を知った。もう一つは「母は枯葉剤を浴びた」(1983、中村悟郎著)から枯葉剤散布による南ベトナム住民の健康被害の実態も知った。
2007年東京で開催されたダイオキシン国民会議主催のシンポジウムで、枯葉剤による健康被害の現状と対策について拝聴した。大阪の阪南病院の三浦先生がベトナムで数カ所診療所開設に取り組みながら、小児の健康被害改善に無機ヨードを食塩に混ぜる食事療法に取り組まれたという講演が印象深い。内分泌研究していた私は、ホルモン検査とホルモン補充療法を組み合わせることで患者の被害の一部が改善されるのではという考えから、いつか現地に行き被害の実態を知りたいという気持ちが沸いた。
大きな転機は2007年の夏、東京でダイオキシン国際学会が開催されることを知ったことである。この学会に妻が参加し、ベトナム部会で座長をされていた金沢大学の城戸先生と知己を得た。同年の秋に金沢大学を訪問し、城戸先生がクアンチ地区で取り組んでこられた調査について説明を受けた。
翌年、2008年9月に我々は、金沢大学のベトナム住民調査に初めて参加した。その時、ハノイ医科大学の付属機関(10-80枯れ葉剤調査委員会)のHung,N.N所長から「今回の調査の目的はなんですか?」との質問を受けた。初参加の私もダイオキシンの健康調査の指標としてのホルモン検査について話した。その手法として唾液・血液中ステロイドホルモンを10成分以上一斉分析可能な方法について説明した。この年からホルモンかく乱の調査がフーカット地区でスタートした。
2)ホルモン調査の経緯
戦争中に枯葉剤を浴びた48〜79才の男性(第1世代)の検査(2010年)、第2世代の母親の検査(2009年)、2010年から第3世代の小児(3才児)と継続的に調査した結果、特に小児について、副腎の男性ホルモンの1種のDHEAが低下する内分泌かく乱の現象に接した。小児については5才〜7才頃から生合成が高まる男性ホルモンのテストステロンが汚染地区で顕著に低下することを発見し、ダイオキシンによるホルモンかく乱は本当だったとの思いを強くした。成人男性の性ホルモンの調査結果からは、前立腺がんのリスクのエビデンスを得た。
このようにステロイドホルモンかく乱が健康被害・疾病のリスクと関わっている結果を得るなか、ベトナム自身でこの問題に取り組む技術をどのように伝えるかを考えた。当時、ハノイに私が知る範囲で分析装置が2箇所にあった。そのひとつが、ハノイのダイオキシン研究所(環境研究所、Minh部長)にあった。ベトナム資源・環境省のLe Ke Son先生の協力の元、液体クロマト/質量分析装置によるホルモン定量分析を当時職員だったHung X.N技術者と一緒に2013年から約4年半取り組んだ。
会社を退職後、2013年からハノイに長期滞在した。はじめはホテル住まい、途中から安価に宿泊できるハノイ北部の農業地帯のタンホイ地区に下宿した。この下宿からロンビエン橋を渡った先にあるダイオキシン研究所まで2時間のバス通勤が始まった。この橋を渡る時、約45年前に米軍による北爆で爆破の報道写真が想い出された。
3)低体重児問題とベトナム留学生
ハノイでの技術指導に取り組みながら、金沢大学・博士課程を卒業したハノイ医科大学のNhu博士やハイフォン病院のTung博士と月に1度の割合でハノイグループと称したミーティングを夕方からホテルのロビーで行った。前に調査したフーカット地区の問診書の記録を整理する中で、枯葉剤汚染地区の出生児体重の割合が対照地区のキンバン(Kim Bang)地区より有意により高い事を確認した。この低体重児の発生はダイオキシンと母親の副腎皮質ホルモンのコルチゾールとの関与を解き明かし、国際誌に報告した。
2015年ベトナム・ホーチミンのツーズー病院を訪問した時に、Bien Hoa枯葉剤汚染地区でも低体重児が多いと言う事を医療関係者から説明を受けた。 この低体重児の発育改善をどのようにするか?これは臨床医学の道でもあるが、長年新薬開発に携わった経験から、まず先行研究として、イタリア・セベソの農薬工場爆破でダイオキシン汚染と住民の調査結果であった。低体重児の将来の健康・病気は胎生期や生後早期の環境影響を受けるというDOHaD研究の示唆がカギとなった。いずれも栄養やホルモンとの関連が深いので、出生時のホルモン検査と発育時の対策が必要である。
枯葉剤で汚染した母乳を避けて粉ミルクで代替する事でダイオキシン汚染との関わりを少なくする事が第一歩である情報を得た。枯葉剤汚染地区の低体児対策について、幾度かハノイJICAへ提案をした。
4)粉ミルク支援
2018年、城戸教授は北陸JICAから「低体重児の発育改善プロジェクト」の委託を受け、スタート。このJICA案に粉ミルクの支援と体制をどう組むかが課題となり、我々は民間による支援を立ち上げた。日越大学の古田元夫学長からは、持続可能な社会の実現の一歩としての役割を、「母は枯葉剤を浴びた」著者の中村悟郎氏や「花はどこへ行った・・ベトナム戦争のことを知っていますか」の映画監督、坂田雅子氏らからも応援のメッセージを頂いた。パンフレットを作成し募金活動を開始したのが、2019年の12月であった。今後は、JICA事業によるホルモン測定の技術支援と民間としての粉ミルク支援が私の役目と考えている。